教えた話

今日は人に教えるという経験をしました。
資料に沿って、相手の理解の速度に合わせて説明をした、つもりです。
 
教えるというのは難しいな、と思います。
必要な知識は必要な時にないと覚えないという自己の経験があります。
いつか使う知識、は引き出しにしまってそのままとなります。
 
相手が必要とするタイミングで、一度に理解できる範囲のことだけを教える。
かつ、最後の締め切り、リミットに間に合うよう、日々教えるタイミングを見図る。
 
OJT、単語は聞いたことがありますが、教える側の教え方をOJTされていないぞ、と思ったりもします。
なかなか難しいなぁと思いつつ、仕事の実務と教育は意識的に切り替えながら持続的に効果的な教育を心がけたいなぁと思いました。
終わり。

できないと割り切る話

こうでありたい、という理想があったりもします。
しかし理想に近づけない現実があります。
 
ならば、近づけない、できないのだと割り切ることもできると思います。
 
10分かかる作業は効率化をしない限り10分かかります。
その作業を諦めれば10分のゆとりが生まれるかもしれません。
 
毎日、朝昼晩とご飯を作れると理想なのかもしれません。
毎日、洗濯をして掃除をして綺麗にしているのが理想なのかもしれません。
 
しかし、ヘトヘトに疲れているならば、できない、と割り切ってゆとりのある時間を作ったっていいじゃない、と思った次第です。
終わり。

新しい靴を買った話

クタクタのズタボロになりつつあった靴にめどをつけ、新しい靴をゲットしました。
靴もそうですが、服など身に付けるものに無頓着でしたが、かっこいいな、とか可愛いな、とか思うものを身に付けるようになって、
なんというか、それでテンションが上がるんだなーと思いました。
 
自分がかっこいいとか、可愛いとか、良いと思っているものが、人に見えるのは、
なんだか恥ずかしい、というのが子供の頃からあって、無難とは、を考え続けている気がしますが、
自分が欲しいと、ビビッときたものを買うのは、楽しいなぁと今更ながら思います。終わり。

自分の感覚の話

自分には自分の感覚があります。
自分の考えや思い、気持ちがあります。
 
しかし、生きていく上で他者との関わりが必要となります。
その接点が必要であり、かつ問題でもあると思います。
 
自分の中の感覚や気持ち、感情、アンテナ、それを信じる、または自己肯定する、それが必要なこともあります。
しかしそこに依存しすぎたために、自分の中に自分にとって安全な場所を作りすぎたがために、他者との関わりが難しくなることもあると思います。
 
他者との関わりと、自分の中の平穏。
 
どうやってバランスをとっていいのか、いまだにわからないと思った次第です。終わり。

ほっと一息つきたい話

つきたければつけばいい。
 
というわけで、深夜に暖かいお茶を飲んで、ほっと一息。
 
昼間に起きたことが続いて、今があるので、連続はしていると思います。
しかし、感情的には一日一日、一日の中の時間単位、朝昼夜、何かのきっかけでメリハリをつけて、何かをリセットしないと耐えられない構造なのかもしれません。
 
なので、ほっと一息できる、自分なりのツールを作っておくと、そこをコントロールできて少し楽になれるのかもしれません。
 
とりあえず、ほっと一息。終わり。

文字によるコミュニケーションの話

文字によるコミュニケーションは日々たくさんとっています。
ツイッターなどのSNSを始めとしてスマホで文章を読まないことはないです。
このブログも文字を介したコミュニケーションの一つだと思います。
 
さて、では現在この記事はどういう状態にあるのでしょう。
「文字によるコミュニケーションは日々たくさんとっています。
ツイッターなどのSNSを始めとしてスマホで文章を読まないことはないです。
このブログも文字を介したコミュニケーションの一つだと思います。」
という導入部を記載したのみで、未だ話の目的、意図、要旨には触れていません。
しかしこのブログに至った人の一部はすでに「文字によるコミュニケーションの話」という表題を目にしており、文字によるコミュニケーションに関する僕なりの何かしらの意見、答えを期待しているのかもしれません。
そして「さて、」から始まるこのパラグラフではまるでこの記事自体をメタ的に解説し、起承転結の承、または転に至りそろそろ核心に迫るのでは、という期待を持たせているのかもしれません。
 
ダラダラと書きましたが、ダラダラと書いたこの文章をちゃんと読む人はいるのでしょうか。
目的、答え、結論になかなか至らない、ただの一般人が垂れ流して書いた整理のされていないこの文章を誰かがちゃんと、頭から最後まで読むのでしょうか。
あまり自信はありません。
 
表題、文章の構成、それらに気を使い頭から最後まで人に読ませるだけの魅力的な文章を書くことは難しいことだと思います。
それは技術であり、才能であり、努力の結果だと思います。
そして、文字による、文章による表現において細部まで読み手のことを考え、可能な限り読みやすく、理解しやすく書かれた文章はコミュニケーションを取ろうとしている、ポジティブな努力の表れだと思います。
逆に、文法がはちゃめちゃである、読めばわかる、読み手に努力を強いる、意味はわかるだろ、といった傲慢な態度が見え隠れする文章は、第一印象が悪くなります。
 
口頭、対面によるコミュニケーションに関しては第一印象や礼儀、マナーなど意識がされやすい傾向にあると思うのですが、
文字や文章によるコミュニケーションについてはその点が軽視されている印象を持っています。
読み手に理解を求める傲慢さが垣間見える文章は、個人的にはあまり読む気がしません。
 
加えて、文字ベースのコミュニケーションには媒体の文化が上乗せされてくると思っています。
ツイッター、LINE、メール、ブログなどなど、それぞれに文化があり、文化によって微妙なニュアンスの伝え方が出てくると思います。
 
様々な要因を考慮して、細部を考え、適切なツールで最適な文章構成、言葉使いで表現を行う。それは前述の通り、訓練や努力、技術が必要になってくると思います。
 
今日のこの記事も、お世辞にもまとまった文章とは思えません。なぜなら推敲をすることもなく、ダラダラと眠い頭で書いているからです。
しかしちゃんとした文章を書く際には、読み手に努力を強いない努力をしていきたいなぁと思った次第です。
終わり。