生活をした話

いつも生活をしています。
今日は洗濯をして、掃除をして、昼寝をして、外出もしました。
ご飯も食べて、ゲームもして、お風呂にも入りました。
そして寝ます。
 
生活です。何気ない生活です。
しかし、少し前まで、いくつかのことができませんでした。
できないことをダメだと否定していました。
 
それなりに生活をして、それなりに体を休めて、それなりに遊んで。
十分だと感じました。終わり。
 
(写真とコメントはいつも通り無関係です)

考えてしまう話

考えてしまいます。
あぁ、これから何某をしないといけない。
あぁ、これまでは何某だった。
 
つい考えてしまいます。
洗濯をして、朝ご飯を作って、その後その後、
何気ない日常の計画でも考えてしまいます。
 
今、息をして、お腹と胸が動いて、背中の筋肉が少し痛くて、頭は重く、
外からは日差しが届き、何かの動物が鳴き、風の音がする。
それ以外の何物も、今は存在しないのだから、今ある、存在するものに集中したいのに、
つい、考えてしまいます。
 
終わり。

考えない話

疲れてくると考えるのが難しいです。
考えることにはエネルギーが必要です。
疲れてエネルギーがないと考えも散漫になります。
散漫な考えをまとめようとするとさらに疲れます。
なので今日はもうおしまいです。終わり。

わからない話

自己の客観視、よく聞く言葉のようですが、できているかは微妙です。
人の振り見て我が振り直せ、ですが、自分が見ている人の振りは自分を反映しているかもしれません。
自分の見たいところしか、自分が見たくないところしか、見ていないのかもしれません。
 
自分の表情、自分の視点、自分の声、自分の姿勢、自分の態度。
わかっているようで、わかっていないと感じました。
 
自己の評価、それは随分前から否応なしに続けていることです。
なので、今の自己評価は昔から続けた自己評価のレールの上に存在するとも思います。
そのレールの上にない評価を今の自分は自分に対してできているか、正直微妙です。
 
「評価」という言葉を使っていますが、成したいことは評価ではなく、認識だと思います。
自分をいかに認識するか。
それは正しさを求めるものではなく、あくまで「いかに」認識をするか、であると思います。
認識、発見の末に、自分をどうするか。
それを漫然とせず、真摯に継続していきたいと、思いました。終わり。

他者への影響の話

存在するだけで他者に何かしらの影響があると思います。
パーソナルスペースに入られるとそれだけで不安に思うように、良い、悪い、といった白と黒に塗り分ける以前にそこに有るだけで何かしらの影響を与える、のだと思います。
 
それはプラスの方向にもマイナスの方向にもどちらにも影響する可能性はあって、
ならば可能な限り、プラスの方向の影響を他に与えるよう、自分はありたいと思います。
白か黒か、色すら見えない前に、不快な思いをさせてマイナスのスタートを切る必要はないと思うので。
そんなことを今日は思いました。終わり。