ユーザーがコンテンツを育てても、金にはならない気がするな。

メモ。
もうちょっと考えてはみますけど、
以下記事より。
http://www.gizmodo.jp/2009/10/ceatec_09_6.html

土台は整った。あとのコンテンツを作るのはユーザーだ!

ユーザーがコンテンツを育てた例ってなんなんだろう、と思った。
で、ニコニコ動画がもしかしたらそうなのかもしれないと思ったのだけど、
ニコニコ動画にアップされている動画に対して金を払おうとは思わない。
ニコニコ動画は、結局、回線の安定性と広告とニコニコ市場とかそういうとこで収益をあげているのかな。
とすると、コンテンツの意義は人を集めるところにあるのか。
つまりそこにあるコンテンツには「人を集める」という魅力が必要になってくる?
確かに、ニコニコ動画は動画のジャンルと、コメントによる共有感によって人が集まってるのかも。
でも、はじめの頃は十二分に人は集まってなかったやろうし、今でも赤字。
じゃあセカイカメラは?
セカイカメラはもっと難しいと思う。
そもそもiPhone持ってないと使えない。
さらにその中でもセカイカメラに興味を持って、セカイカメラをダウンロードして、
さらにタグ多くつけられるであろう都市近郊に住んでいて、その中でも、いちいちiPhone取り出して、セカイカメラ起動して
タグ見よか、て思う人がやっとこさユーザー。
そう考えるとセカイカメラのユーザーって少ないのでは?
そのユーザーがコンテンツを育てたとして、その育てたコンテンツに食いつく人は増えるのだろうか?
とかとかとか。
そんなことを考えて、土台はまだまだできてないんじゃないかなーとか思ったりしたのでした。


今日も下敷きを切っていました。
後二色分。