良い事してる感

昨日、Twitterでもポストしたけど、アッコにおまかせで生島ヒロシが言っていた
二宮金次郎の言葉が、震災支援に対して感じていた違和感を明確にした。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」


経済なき道徳は寝言である


私は寝言ばかりだったのではないだろうか。
ニュースを見て泣いたりもした。
しかし、その涙が何の役にたったのだろう。
励ましの記事や、支援の和を見て、感動したりもした。
しかし、それが何の役にたったのだろう。


節電もしている。
義援金も小額ながら寄付したし、これからもするつもりだ。
そういう意味では「経済なき」ではないかもしれない。


しかし、それが最近薄っぺらく感じてしまう。
「私が今できることを」
節電や義援金を払うことで、何かを成し遂げた気になっている自分がいる。
そしてその裏側で、余震や原発のニュースを気にし、そして花粉症による体調の悪さや停電を理由に
仕事やプライベートをおろそかにしてる。


せっかく大事なことを感じたのに、
それを軽く扱って
自分の心と体が全く動いていない。
底の部分は変わらず、上辺だけでいい気になっている。


私にできることは
前からわかっていて、
やってこなかったこと。


口だけにならないように。
口だけにならないように。