“体験”と”言葉”は同じ量ずつないと、心のバランスがとれないのよ

五十嵐大介「魔女」2巻より

魔女 第1集 (IKKI COMICS)

魔女 第1集 (IKKI COMICS)

魔女 第2集 (IKKI COMICS)

魔女 第2集 (IKKI COMICS)

最近、よくこの言葉を思い出す。
同じく、「魔女」二巻で同様の意味として使われたと思われる
「いちども空を見たことがない人が『晴れた空は青い』と言ったら、言葉は間違ってなくても、それはウソなんだわ」
この台詞を思い出す。


思い出すのたいていネットのまとめサイトや、Twitterや、はてブを見ているとき。
ある問題が起こったときに、そこに向けて発せられる意見らしいものを見るたびに、
私は空虚なものを感じて、そして、上記の魔女の台詞がその時の感情にぴったり合う。


でも、同時に、体験とはいったいなんだろうと思う。
私が体験したことを、ネットを通じて伝えることはできるのだろうか?
私の略歴なんて、簡単に嘘で固めてしまえるし、
私の言葉なんて、信じる根拠はない。


自分の目で見たものは信じられる、そんなかっこいい事できればいいけど、
私は自分の目で見たものだけでは、生きて行けなくなっているとも感じる。
子供の頃から、学校で、TVで、
過去のことや、遠くで起こった事を、知識として積み込んで、
その下積みがなければ、もう生活が維持できない。そんな気がする。
その全てを経験することは、時間的にも物理的にも難しい。


でも、たぶん、そういうことじゃなくて、
自分で思ったこと、感じたことを、きっちり言葉や行動にしていかないといけないのかもしれない、
とも思うのでした。


まる