昼間にぼーっと感情を記録できたらどうなるだろうと考えて
ぼつぼつツィートしました。
心の感情をバックアップして、過去にどういう感情を持ったか、だけがわかったら不思議な感じするな。記憶とか何があったかの事実の記録なしに、ただ感情だけが記録されたものって価値があるのかどうなのか
— rojiura (@roji) 2016, 1月 24
どうなのかな、昔の感情は今の感情に対するリファレンス的な扱いでしかなくて、昔はこう思ったけど今はどうなんだろう、くらいにしか使ってない気がするな。記録して残すのは何があったかの事実で、感情としては昔の感情よりも、その記録を見て今何を思うか、に費やされてる感じがするな
— rojiura (@roji) 2016, 1月 24
なら今の感情もすごい刹那的な感じする。今何かを思ったとして、それは将来の礎になるかもしれないけど、今の、純粋にデッカい感情は残らなくて、それを思い出したとしても、僕の中が過去の感情で置きかわるわけじゃなくて、思い出した感情に対して今何を思うかになるんやろうなー
— rojiura (@roji) 2016, 1月 24
んー、なら、感情を覚えておく、みたいなことを考えずに、今どう思うかに集中した方がいいのかな
— rojiura (@roji) 2016, 1月 24
写真にしろ、動画にしろ、目の前で起きた事象を記録することはできます。
しかし、それらの記録を見返したところで、その時感じた感情で今の自分が置き換えられるわけではなく、
思い出すことで、また新たな感情を今の時点で作り出すのだろうと思いました。
つまり、今この瞬間に感じたことは、二度と同じようには感じることができない、
本当に刹那的なものなんじゃないかなと思いました。
ならば、記録を残すことよりも、今の感情に集中して、
覚えようともせず、ただただ今の感情をエンジンにぶち込んで、
一回の衝撃でどこまでも動けるように、感覚を研ぎ澄まさないとなぁと思った次第です。