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技術や科学を信じる根本ってなんだろうと思いました

例えばピッチドロップ実験は名前は知っていますし、
1滴落ちるのに10年からかかる粘性が高い液体があることはWikipediaを調べると載っています。
 
しかし、僕はおそらく、実際にその液体の滴が落ちるところを目にすることはないだろうなぁと思います。
今はカメラでずっと監視して録画することも可能だと思いますが、
10年間の実験環境が適正か否かを検証するために10年分の録画を全てチェックしたり、
10年分の湿度や気温、振動の有無を確認したりは、僕自身はしないだろうなぁと思います。
 
僕はきっと、
Wikipediaに載っている、
大学の教授が管理している、
そして僕の生活には、少なくとも致命的にはならない程度に、関係ない、
そういった理由で、「ピッチドロップ実験ってあるんだなぁ、粘性の高い液体があるんだなぁ」と信じているのだと思います。
 
高度な技術や科学の全てを理解したり、経験したり、実験することはできないので、
ある程度は断片的な情報から信用することで、僕の生活は成り立っている気がします。
大学での研究であったり、論文として学会誌に掲載されていたり、
企業が製品として搭載していたり、多くの開発者がレビューをしていたり、
そういった情報の積み重ねで信用している気がします。
 
しかし、大学で不正があったり、レビューが実は甘かったり、
信用が失われることもあります。
 
かといって、自分一人の力で、全ての技術を検証するほどの力もない。
 
なんとなく、日々信用している技術や科学の、
その「信用」の根本的な基準って、実は自分の中にちゃんと持っていないんじゃないか、
と思ったのでした。