枯れかけた紫陽花の話

今日の写真は枯れかけた紫陽花です。
特に何かを表現したいとかそういった意図もなく、一日一枚スマホでなんでもいいから写真に撮ろう、という習慣を作ってみようチャレンジをしています。
 
上記の通り何かを表現したいという強い思いがあるわけじゃないですが、一応綺麗だなーとか、記録に残したいなーと思ったものを写真に撮っているつもりでした。
でも今日は仕事が忙しくて明るいうちに写真を取る時間がなく、暗くなってから「今日撮らないと三日坊主で終わりそうだなー」という、「やらなきゃ」という気持ちからボケーっとどうっすかなー写真に撮れそうなものあるかなー真っ暗だしなーと諦めながら歩いてました。
そんな中ふと枯れかけた紫陽花が目に止まりました。
 
もう、「紫陽花キレー」という一番のシーズンは過ぎていて、連日の猛暑の中しおしおと日々枯れつつあった紫陽花。
色もくすんだ色をしていましたし、真っ暗な中電灯の明かりしかなく、少なくともインスタ映えするようには自分は思いませんでした。
 
少し話が変わりますが、僕がブログやTwitterにアップしている写真は大抵加工をしています。スマホのアプリで色相などをイジっています。
今日の写真もちゃんと拡大してみると加工し過ぎたノイズのようなものが見てとれます。
 
ただ、今日ふと目についた魅力があるとは思えなかった枯れかけた紫陽花の花をなぜ写真に撮ったかというと、これ加工したら面白くなるかなーというモチベーションが生まれたからでした。
電灯だけの光が少ない中で、さらに枯れかけて色味も薄れた紫陽花の花を、極端にパラメータを振って加工することで自分にとって少しでも魅力を感じるものにできないかなーと思いました。
結果、この写真が魅力的かどうかは微妙なとこですが、自分が見た薄暗ーい枯れかけた紫陽花ではない、色味のある別のものに変化したような気はします。
 
結局、何の話かというと、
枯れかけた紫陽花の花、多分いつもならそろそろ紫陽花の季節も終わりかーというくらいの気持ちでスルーしていたと思います。
そこに自分の中で写真を加工するというツールを持っていることで、スルーしかけたものをすくい取ることができたのかも、という事を思いました。
写真を加工するツールだけじゃなく、自分の中に絵を描けるスキル、音楽を作るスキル、スクラップするスキル、そんなスキルやツールを持っておくと、何気なくスルーしてしまいそうな日常の何かをすくい取ることができるんじゃなかろうか、そんな可能性に気づけたような気がした、という話です。終わり。

f:id:roji-ura:20180724020714j:plain