働かざるもの食うべからず、と思った話

不労所得、あるのかもしれませんが、広義的な何かしらの労働、思考、アイデア、などなどによって所得が発生すると思います。
何に価値を感じるかは人それぞれなので、僕が日がな一日ゴロゴロしていることに魅力を感じて毎日1万円くれる素敵なパトロンが現れれば僕にとっての不労所得になり得るのかもしれませんが、おそらくその確率は低いでしょう。
多くの場合、少なくとも自分の脳みその中で何かを考え、何かを実行しなければ所得は発生しない事が多いと思います。
 
効率化とは、単位時間あたりの成果物を増大させ続ける事だと思います。
例えば効率化の末に1時間で100円の儲けがある仕事を、1時間で6000円の儲けにできたとします。
100円の儲けを得続ける事が目的ならば、僕は次の日から1分だけ働けば良いことになります。
しかし、今僕に求められている事は1時間働いて儲けを6000円にする事です。
 
ならば効率化をしたとしても僕は1時間は働くことになります。
働かなければならないのです。
 
もっと賢く考えれば、1分だけ働く、という選択があるのかもしれません。
しかし、今後働く人が減る一方で組織や個人を維持する所得は変わらないのであれば、効率化のゴールは1時間あたりの儲けをいかに増やすか、だと思います。
そして1時間働く事は変わらないのだと思います。
 
たまに、効率化のゴールは働かなくていいこと、と思っている人に出会う事があって、その未来にあまり魅力を感じないな、と思ったので、思った話でした。終わり。