頭の中の会話をやめる話

個人的に、他人は二種類あると思っています。
 
一つは一般的な意味の、僕の体の外にある、もしかしたらこの文章を読んでいるかもしれない、僕以外の人間である他人。
もう一つはそんな他人を僕が観察して、接触して、僕が頭の中に作り出した他人。
 
二つ目の「他人」は厳密には他人ではなく、僕が作り出した虚像だと思います。
しかし、僕が他者と話をする、接する、関わりを持つ場合、その多くは僕の中に生まれた他人の虚像とのやり取りだと思います。
他者が、自分以外の人間が、発する言葉や眼に映る行動、それらは僕の中の「他人の虚像」の輪郭を少しずつはっきりさせていきますが、
虚像が本物と一致することはおそらくないのだろうと思います。
 
頭の中の虚像が大きくなってしまうと、僕はその虚像とばかり話をしてしまいます。
本物はどこにもいないのに、頭の中に残った虚像、残像と会話を続けて疲弊します。
本物が目の前にいても、僕は虚像との会話を続け、諦めてしまいます。
 
もちろん、虚像が本物と一致することはおそらくないので、僕が本物を全て理解することはないと思います。
この先もずっと、僕は頭の中で作り出した他者の虚像と会話をしていくと思います。
しかし、虚像を一人歩きさせないように、可能な限り本物を観察して虚像の輪郭を正しく明確にし、
少なくとも、目の前にない虚像の相手で疲れる時間は少なくしていきたいと思いました。終わり。