押すか押さないか、の話

押し通す、それはそれでスキルの一つだとは思います。
しかし、押し通す、ことがやり方の一つではない、と認識していないとそれはスキルとは言えず、ただのわがままというか、勝手のように思えます。
 
大きな声で喋る。
他者の意見を遮ってまで、大きな声で喋り続け、他を唖然とさせ、押し通す。
それはやり方の一つではあると思いますが、それで失うものもあるでしょう。
しかし失うものを怖がらなければ、そのやり方で押し通すことができるのかもしれません。
 
厄介者に時間を割きたくはないのです。面倒事に首を突っ込みたくはないのです。
自分自身が面倒だと思う以上に、現実的に時間的にも、精神的にも、物理的にも、それほど多くのリソースは持っていないのです。
だから、押し通されても、押し通させる事がまかり通る事もあるのです。
 
そこを突けば、突き続ければ押し通す方がコストは低いのかもしれません。
厚顔無恥であり続ければ失うものはないのかもしれません。
 
しかし僕は厚顔無恥であり続けたいとは思いません。
そして失ったものは、そう簡単に回復しませんし、させもしません。
そして、押されてばかりなのも、そのうち面倒に、嫌になってきます。
 
さて、どうするか。押すか押さないか、そんな二択の世界じゃない世界で生きていたいです。
そのことに、僕のリソースを使いたいです。終わり。