厚顔無恥な話

厚顔無恥、厚かましく恥知らずなこと。
検索するとそう出てきました。僕の理解ともだいたい合っていました。
 
しかし、厚顔無恥の線引きはどこにあるのでしょう。
 
ルールはたくさんあります。
法律、条例といった多数の人が「守るべき」と解釈するものであろうものから、
マナーや文化といった齟齬が生じやすいもの、
家庭内、自分の中、でしか通用しない非常に狭いものまで。
 
自分ルールにおいて、厚顔無恥は時に縛りになると思っています。
「生きていてすみません」
そんなセリフをいつか、どこかで見たような気もするのですが、もしそれがルールになってしまうとなかなか厳しいです。
そこは厚顔無恥、生きていて何が悪い、でもいいんじゃないか、と思います。
 
自分ルールは決めるのが難しいです。
自分ルールのせいで不幸になることもしばしばあります。
そしてその自分ルールを緩めることは、怠けや甘え、無責任、といった感情がつきまとったりします。
 
自分で決めた、自分の中のルールに、厚顔無恥など、そもそも感じる必要があるのか、
その疑問を片隅に置いたまま、自分ルールに縛られていけると、まずはいいのじゃないか、と
厚顔無恥に思うのでした。終わり。