文字によるコミュニケーションの話

文字によるコミュニケーションは日々たくさんとっています。
ツイッターなどのSNSを始めとしてスマホで文章を読まないことはないです。
このブログも文字を介したコミュニケーションの一つだと思います。
 
さて、では現在この記事はどういう状態にあるのでしょう。
「文字によるコミュニケーションは日々たくさんとっています。
ツイッターなどのSNSを始めとしてスマホで文章を読まないことはないです。
このブログも文字を介したコミュニケーションの一つだと思います。」
という導入部を記載したのみで、未だ話の目的、意図、要旨には触れていません。
しかしこのブログに至った人の一部はすでに「文字によるコミュニケーションの話」という表題を目にしており、文字によるコミュニケーションに関する僕なりの何かしらの意見、答えを期待しているのかもしれません。
そして「さて、」から始まるこのパラグラフではまるでこの記事自体をメタ的に解説し、起承転結の承、または転に至りそろそろ核心に迫るのでは、という期待を持たせているのかもしれません。
 
ダラダラと書きましたが、ダラダラと書いたこの文章をちゃんと読む人はいるのでしょうか。
目的、答え、結論になかなか至らない、ただの一般人が垂れ流して書いた整理のされていないこの文章を誰かがちゃんと、頭から最後まで読むのでしょうか。
あまり自信はありません。
 
表題、文章の構成、それらに気を使い頭から最後まで人に読ませるだけの魅力的な文章を書くことは難しいことだと思います。
それは技術であり、才能であり、努力の結果だと思います。
そして、文字による、文章による表現において細部まで読み手のことを考え、可能な限り読みやすく、理解しやすく書かれた文章はコミュニケーションを取ろうとしている、ポジティブな努力の表れだと思います。
逆に、文法がはちゃめちゃである、読めばわかる、読み手に努力を強いる、意味はわかるだろ、といった傲慢な態度が見え隠れする文章は、第一印象が悪くなります。
 
口頭、対面によるコミュニケーションに関しては第一印象や礼儀、マナーなど意識がされやすい傾向にあると思うのですが、
文字や文章によるコミュニケーションについてはその点が軽視されている印象を持っています。
読み手に理解を求める傲慢さが垣間見える文章は、個人的にはあまり読む気がしません。
 
加えて、文字ベースのコミュニケーションには媒体の文化が上乗せされてくると思っています。
ツイッター、LINE、メール、ブログなどなど、それぞれに文化があり、文化によって微妙なニュアンスの伝え方が出てくると思います。
 
様々な要因を考慮して、細部を考え、適切なツールで最適な文章構成、言葉使いで表現を行う。それは前述の通り、訓練や努力、技術が必要になってくると思います。
 
今日のこの記事も、お世辞にもまとまった文章とは思えません。なぜなら推敲をすることもなく、ダラダラと眠い頭で書いているからです。
しかしちゃんとした文章を書く際には、読み手に努力を強いない努力をしていきたいなぁと思った次第です。
終わり。