自分が何をするか判断する話

人と会話をするのが苦手です。
だから、というわけではないでしょうが、人と会話をする前に色々なことを考えます。
逃げとも取れるかもしれません。会話を避けるために、会話を避けてもなんとかなるようにできないかを考えます。
 
自分が会話をしないことで、他人の会話が浮き彫りになることがあります。
それらが良いか悪いかは別として、なぜ人が会話をするのか、なんとなくわかってきそうな、気づきみたいなものが自分の中に生まれつつあります。
疲れた時、憂さ晴らしをしたい時、集中が切れた時、
他人に話を振ろうとするタイミングが、性格にもよりますが、なんとなく見えてきます。
 
会話が本当に必要なのか、疑問に思うことがあります。
会話、というよりは共有なのだと思います。
情報共有、本当に必要か否か、判断をして行動を起こしているのか、自分でも曖昧です。
何かを解決したい時、まず共有から始める、それは本当に必要な行動なのでしょうか。
共有をしたところで自分の次の行動が変わらないならば、共有のコストを省略して自分の行動を始めた方が速くないでしょうか。
 
自分が今から何をすべきか、本当に考えて行動を選択しているのか、
シビアに考えている人は意外と少ないんじゃないか、と思うことがある、という話です。
なお、僕はあまりシビアに考えていません。終わり。