諦めた先にあるものについて考えました

最近、いろいろと諦めてしまえば、都合がいいこともあるのだろうと思います。
 
今住む水が自分に合わないと感じて、もっと綺麗な水の川で生きていきたいと思ったとしても、
結果一生を今いる川で過ごすのならば、
綺麗な川のことを考える時間は不毛で、
今いる川でいかに生きるかを考える、という考え方もできそうな気がします。
川が綺麗になることがなかったとしても。
 
今いる場所、環境に対する不満、違和感、それらが本当に直さないといけないことなのか、
実は、そのままでも別に良くて、僕自身が特に問題がないと判断すれば、
どうでもいいことなのかもしれない、と考えると結構楽な気もします。
 
ただ、そうやって考えていった末に待っているものは、
何かゾッとするなぁと思いました。
 
正直、一匹の魚が大きな川を綺麗にすることは、非常に困難な気もしますし、
それが僕のやりたいことではないだろうと思います。
 
でも、綺麗な水が欲しいなぁと思ったり、
綺麗な水がいいなぁと思う感覚は、持っておかないと、
閉じた世界で腐っていくだけな気がしました。