写真の話

写真とはなんぞや、というレベルの高い話をできるほどの経験もないので,そういった話ではないです。
 
毎日写真を一枚撮ってみよう、そう思って3ヶ月ほど経ちました。
何か撮影したいものはないか、毎日いろいろ観察をして何気ないただの道端の雑草や花に魅力を感じて写真を撮る、そんな事が増えました。
 
今日も夕方のまっすぐ進む太陽の光にキラキラ光る枯れかけた葉が綺麗で、写真を撮りました。
そうして写真を撮りながら、いつも今僕が綺麗と感じている気持ちを写真に残せないなぁと思います。
 
僕がインスタにあげている写真はもれなく加工しています。
上述の通り、僕には写真をちゃんと撮る経験がなくて技術もないので、目の前にある綺麗な景色をそのまま残すことができません。
撮影した時の気持ちを思い出して、せめて少しでもその気持ちが表せられるように、その気持ちが強調されるように写真を加工をしている気がしました。
 
こんなことを言ってはなんですが、これまであまり写真の良さがわかりませんでした。
現実のものをただ転写した、そんな風に考えていました。
しかし毎日写真を撮るようになって、素人ながらに少し考えて考えが変わってきた気がします。
 
現実のものをただ転写する、ただそれだけでは何も魅力がないのだと思います。
僕の目は、ただ目の前の現実を転写するだけの装置ではないからです。
目の前の事、物、者、事象、それらのいずれかに無意識に、または意識的にフォーカスをした場面に僕の感情は動いていると感じます。
ならば、そのフォーカスしたものを写真に残さないと、僕が抱いた感情と似た感情を共有してもらうことは難しいのだと思います。
 
自分の目がフォーカスを合わせた何かを一枚の写真の中で浮き彫りにするために、ピントを調節したり、色相を調整したり、様々なカメラや写真に関わる技術が必要になってくるのだと思うようになりました。
僕はその技術を加工アプリでなんとかお手軽に手に入れて、それを毎日続けようと思った次第です。
 
そして、そんな風に思うようになって、改めて目の前の景色はもうそっくりそのまま残すことはできないんだと、思うことが多くなりました。
だからカメラを、僕の場合はスマホを、掲げてシャッターを押してもそれで満足することなく、目の前の景色をちゃんと自分の目で見ようと思うようになりました。
終わり。