窮屈な感じがしました

ストレスなのか何なのか、よくわかりませんが、
最近、ずっと窮屈な感じがします。
 
ずっと緊張でこわばっているような感覚。
気づくとすごく疲れている気がします。
 
ここ最近、ずっと低調です。
「ここ最近」なのかわかりませんが、
もっと長く低調なのかもしれません。
 
ずっと抜け出せないままで、少し嫌気がさしてきた気がします。
 
どうにかしないと、あまり良い感じにはならないだろうなぁと、
ずっと思っているような、気がします。

効率と手抜きの違いはなんだろうと思いました

まだよくはわかっていないのですけど、
想定した結果を得られるのか否か、は違いの一つな気がします。
 
手抜きを続けた場合、得られるものは形だけのもののような気がして、
僕の中の不安が拭えません。
 
でも、「不安だからそれは手抜きです」では他人を説得することができなくて、
うーん、と思います。
 
効率的で「早く終わる」というのは明確でわかりやすく、
声を大きくすれば簡単に正しさになる気がするのですけど、
「それただの手抜きでは?」と思った時に、さてどうしようかと思ったりもするのでありました。

経験は自分の手柄ではないよなぁと思います

自分の経験、そこには自分の力と他人の力と何かしらの運のようなものが絡み合っているだろうと思います。
 
成功経験にも失敗経験にもそれは言える気がします。
そこを忘れて、自分の経験の全てを自分一人の手柄だと錯覚し始めると、
いろいろなことが根拠なく正当化されたり、
再現性の低いプロセスが実行されたりするのかなぁと思います。

積み重ねって何だろうと思うことがあります

何となく、何となく、ですが、
あるゴールに至るには道筋があると思っています。
 
その「思っている道筋」が正しいかは怪しいのですが、
何かしら道筋があるだろうと、
ゴールに至る過程、ゴールまでの小さな成果の積み重ねがあるだろうと、何となく思っています。
 
しかし、自分が思う道筋とは別の道筋を見ているのか、
それとも道筋なんて見ていないのか、と思える状況に出会うことがあります。
 
思考の方法は人それぞれで、ゴールに一気に飛躍する人もいるとは思うので、
僕の頭の回転が遅いのだろうと思うのですが、
では、僕の考えている道筋って何なんだろう、と思ってしまうのでした。
 

解釈は違うだろうし、他人の解釈に沿ったほうが良いこともあると思いました

商店街に東からパン屋、肉屋、八百屋が並んでいたとして、
Aさんが「あの商店街にはパン屋、肉屋、八百屋がある」というのと、
Bさんが「あの商店街には八百屋、肉屋、パン屋がある」というのは同じだと思います。
 
誰かが「東から西を順方向とする」というルールを作れば、
Aさんは順方向に説明をし、Bさんは逆方向に説明していることになります。
しかし、ルールを守っているかどうかは別として、Bさんの頭の中では
西から東が順方向で、東から西が逆方向かもしれません。
 
そういった解釈の違いでAさんとBさんの話が食い違うことがある、
とよく思います。
 
しかし、言葉の端々から、「Bさんの頭の中では西から東が順方向なのだな」と推測することは可能だと思います。
そして、ルールは別としてBさんの中の順方向、つまり西から東の方向へ説明をした方がわかりやすいだろうと思います。
 
一つの事象に対する解釈はそれぞれで、
その解釈を統一することも重要ですが、
何かを説明したり納得させるなら、相手の解釈に沿って説明した方がわかりやすく、
その上で解釈の違いに言及した方がうまくいくこともあるなぁと思った次第です。

ポケモンを探していました

朝起きると、寝る前に枕元に置いたはずのポケモンが見当たりませんでした。
いつもは寝る前にポケモンをつけて布団に横になった時に、ここに置く、
そう決めている「ここ」にポケモンがなかったのです。
 
ポケモンがないと何も見えません。
自分の部屋は何となく物の配置がわかっているので、
何とかなるのですが、外に出ようとなるとポケモンが必須です。
 
とりあえず手探りでお香を焚いて、
ポケモンが出そうなところを所々探しておりました。
 
 
という嘘をのたまうほどに何もなく、ポケモンGOしてたら頭が痛くなって1日寝てたという1日でした。