エッシャー展を見に行った話

大阪でやっているエッシャー展を見に行きました。

エッシャーといえばだまし絵、というイメージでしてたが、版画の数々がすごかったです。

 

掘ってる線の太のちがいで遠近感を出したり、その技法もすごいと思いつつ、この作業の果てに、二次元の版画の中で表現により三次元に見えるようになる様がだまし絵に影響を与えたのかなぁなどと勝手に思ったりしました。

 

いろいろな想像力をかきたてられる良い展示でした。

有名なだまし絵の数々も観れてよかったです。

終わり。

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移ろいの話

想像力に限界があります。
今こうして僕がブログを書いている時に、地球のどこそこで誰それさんが何をしているか、全てを想像することは難しいです。


場所が変われば文化も変わり、人も変わる。
もし僕が神様で地球を外側から、同時にいろんな場所を観察できれば、もしかしたらいろいろ驚く事がたくさんあるのかもしれない、と日常の籠の中で少しだけ思いました。終わり。

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違う話

僕は他人と異なります。
人間の中でも異なるという意識があるので、生物としての種族が違えばなおさら違います。
 
目の前の生物が安全か危険か、それは見た目や臭い、過去の経験からやってくるものだろうと思います。
僕は人間社会の中で生まれて育ったので、自然の中での野生の感覚といったものは疎いのだろうと思います。
 
僕は僕を安全な生物、と勝手に思い込んでいますが、異なる視点から見た時に、安全と見えるか否か、は本当にわからないと思いました。
主観と客観、その差異は思った以上に深淵なのかもしれないと思った次第です。
終わり。

冬の花の話

花、単純に花と聞くと季節は春を想像してしまいます。
冬のイメージは青〜白、閑散としたイメージ。雪と冬独特の寒そうな青空のせいかもしれません。
 
ただ、注意をしながら歩いていると、冬でも咲いている花はあります。
今日の写真はパンジーかな?
小学校の頃に授業か何かで触れた気がします。
 
Wikipediaの情報を信じるならば、そしてこの花がパンジーならば
開花期は10月〜5月。
春の花でもあり、秋の花でもあり、冬の花でもあるんだなーと思いました。
 
萌ゆる、活性、育つ、
なんとなく春や夏のイメージがありますが、冬の間に栄養を蓄えて育つ植物や野菜もあったはずです。
 
冬は人間が決めたイベントがたくさんあります。
クリスマスは過ぎましたが、次は正月。
年越しは人間が決めた一つの区切りだと思っています。
 
区切りがあることは重要です。
でも、日常は連続しています。
僕の勝手な印象、冬のイメージ、寒さの厳しさ、それだけにとらわれずに、いつも通りの時間の中で、気づいていない新しいものに気づければいいな、
漫然と人間の暦に流されることなく、僕の視点を維持できるといいな、と思いました。
終わり。

加湿器のフィルタを交換した話

加湿器のフィルタを交換しました。
一応毎年フィルタお掃除ランプがつけば掃除をし、花粉の時期が終われば一通り掃除、乾燥させて収納、を繰り返していましたが、
交換時期になったので、面倒な腰をあげてフィルタを購入、交換しました。
 
全く違いました。
加湿器用フィルタなので、カルキ?がたくさんついて、並べると全く色が異なっていました。
あまり気にしていなかったフィルタのヨボヨボ感も際立って、交換してよかったな、と思います。
 
年が明けたら集塵フィルタも交換して、来年の花粉に備える予定です。
終わり。

青空の話

今日は晴天でした。風が強かったですが、その風が何もかも持って行ってしまったように透き通った青空に見えました。
まだ散らずに残った葉に太陽が反射してキラキラとしていました。
ほとんどの葉が散ってしまって、木々のシルエットだけが残る中に、常緑樹の緑の葉が生き生きとしていました。
豊穣の秋の名残のように、小さな赤い実がたくさんなっている木がありました。
木々に残った黄色い葉とその向こう側の青い空のコントラストが綺麗でした。
 
いつもの近所の散歩道でしたが、なんだか今日は冷たい空気が体の中を刺激したのか、青空と緑、黄色、赤の葉を残す木々とがすごく印象に残る一日でした。
終わり。