嫌なことを考える話

嫌なことを考えてしまいます。
ただの頭の浪費だと認識しているのに、意味もなく考えが湧いてしまいます。
 
杞憂に踊らされないよう、地に足つけて、自分で先を選択していきたいです。終わり。

うまく伝えられない話

会話にはコストがかかってしまうと思っています。
会話する双方の時間を使い、そしてあやふやな記憶や前提、仮設の塗り替えで議論はなかなか収束しません。
 
最近、他人と一緒に仕事することが増えて、会話をしてしまいます。
終わったら30分から1時間経っていたりします。
貴重な時間を使って、成果物はちょっとしたメモ程度の議事録、のようなもの。
 
できるだけ避けたいと思っていた会話に依存している自分を自覚しています。
もっとやり方を工夫して、コストを下げて単位時間なあたりの成果を増やさないと、来年度から大変そうだなぁと思った次第です。
終わり。

少し寂しかった話

雨が降ったからか、暗かったからか、
聞いていた曲のせいか、何なのか、急に寂しい気がしました。
 
今、いないのだなぁと。
今、あなたはここにいないのだなーと、少し思いました。
特定のあなたではないのですけど、一人なのだなーと。
寂しさのようなものが、ふと湧いたなーと思いました。終わり。

生活コストの話

ただの生活にコストを感じてしまいます。
 
飯を食べる、洗濯をする、掃除をする。
家事と呼ばれる物事に疲労を感じます。
 
当たり前なのです。
体を使い、頭も使って、時短をしようとし、
切り詰めないといけない、という焦りのようなものと、しかし必要である一定のラインは保持しないといけない矛盾。
それが毎日続いて、続けなければならない、というストレス。
 
楽しめれればいいのですけど、「ならない」「べき」になりやすくて、疲れるなぁと思うことがあります。
最近は疲れたらやめてしまっています。少しお金を払って、外でご飯を食べたり、次の日に回したり。
 
どうしようもないものはどうしようもないのです。終わり。

難しい話、いろいろあります。
いろいろあって、難しいなーって終わって、棚にあげることが多いです。
 
棚に上げるだけもいいものと、棚に上げたままじゃダメなもの、どちらもあると思っています。
 
難しいことに直面して、解決策はわからなくても難しいことと理解することが重要なケースもあれば、
解決策をなんともしても得なければいけないケースもあると思います。
 
難しい問題を解く役目は、面倒だと思います。
しかし、誰かが解かなければ難しいままです。
難しいままで回ることもあります。でも回らないこともあります。
いつかは解かないといけないのかもしれません。
 
解くべきか、解かざるべきか、難しいなー。終わり。