具現化系能力が必要な話

具現化しないといけません。
 
妄想は妄想です。
理想は理想です。
幻想は幻想です。
存在しないものは存在しません。
 
念能力があれば、イメージ修行を続ければ具現化されるのかもしれません。
でも僕は一般人。
 
具現化するには作らねばなりません。
作ろうとせねばなりません。
 
 
作らねば、それは存在しないままなのだと思います。
終わり。

お約束、の話

お約束。
そのお約束、一体どこでいつしましたっけ?と思うことがあります。
 
決まっているから、今までそうだったから。
おやおや、理由があやふやです。
 
しかし、決まっているから、今までそうだったから、はある種低コストでもあります。
低コストにするがために、ルール化、システム化したのだと思います。
ならば、環境が変わり、高コストになってしまったお約束に何の意味があるのか、と思います。
 
お約束を軒並みに蹴散らす必要はないかと思いますが、常にお約束を破る必要がないか、の判断はし続ける意識は必要なのかなーと思った次第です。
終わり。

自分の意思の話

自分の意思はどこまであるのだろうか、と思うことがあります。
 
問題解決をすることが多いです。
仕事においてもプライベートにおいても、問題を解決せねばならない、という考えに陥ります。
 
自分の意思が問題になりうるなら、その意思は必要ないだろう、
自分の感情が問題になりうるなら、その感情は必要ないだろう、
そう思っていました。
 
しかし、そう思って行動した結果、自分の心が先に参ってしまいました。
 
相変わらず、自分の意思や感情を表現することが下手だと思います。
特に、マイナスの意思や感情を表現することができません。
難しいです。伝えねばならないのかもしれません。しかし、不要な問題にはしたくないのです。
その間で難しいと思いながら、時が経つのみなのかな、と思います。
 
成長できるといいなぁ。
終わり。

自分の境界と檻の話

今日は犬フェスの日でした。
菅野さんが欠席されるという話を聞いたときは正直、ガッカリとしてしまいましたが、
いざ始まると楽しさと感動とがずっと続く楽しいフェスの時間でした。
 
楽しい貴重な時間が目の前にあるとき、自分について考えてしまうことが多いです。
そんな勿体無いことをせずに目の前の楽しさに集中しないと、すればいいのに、つい頭は勝手にあらぬ方向に向かっていってしまいます。
 
今日は幸運にも、アリーナ3列目という好位置でした。
目から入ってくる情報もたくさんあって、音も波を肌で感じられるくらい近くて、いろんな情報が体を突き抜けていきました。
 
自分と他の周りの境界を取り除きたかったのです。
好きな人が歌っている、好きな声、音、音楽、歌詞、音の連なり、
その姿、表情、仕草、
会場の雰囲気、ノリ、
全部をその場で、その場だけで感じ取られる、貴重なものを、自分に直接触れさせたかったのです。
 
でも、自分には思考の檻があります。
考えてしまうのです。どうすれば直接触れるのか、それすら考えてしまう。
どうすれば目の前の貴重な、貴重な貴重な時間を、空間を大事だと認識しうることができるのか、
未来ではどう感じているのか、周りからはどう見えているのか、あの人は今何を思うのか、楽しんでいるのか、終わったら何を話してしまうのか、
考えが始まって、僕は結局ガラス、檻の中から、見てしまっているような気がするのです。
 
ボロボロ泣いていたので、きっと、少しだけちゃんと直接触れることができたのだと思います。
でも、もっともっともっともっと、感じることができたんじゃないか、と後悔のようなものを感じて、反芻をするのです。
 
今日は貴重な一日でした。
犬フェス2が早速発表されましたが、今日という日は二度とこないです。当たり前です。
今日が貴重な一日であったこと、それを忘れることはないでしょうが、つい数時間前に目の前にあった、あのキラメキをあの音をすでに忘れかけています。
僕の脳は、記憶装置がうまくできていなくて、すべてを覚えておくことができません。
あの素晴らしい時間で起きたことを、少しずつ忘れてしまう。だからこそ、目の前の貴重な、一瞬で流れて消えてしまう音を大切にしたいと思ってしまうのです。
 
好きな人たちがたくさんステージに立っていらっしゃいました。
そして、ステージに立っていらっしゃる好きな人達は、一瞬一瞬を大事にしているんじゃないか、といつも思うのです。
あの場を作り出す人たちが、持っていたパワーを、これまでに培ったパワーをあの場で出して、あの場ができる。
それは毎日を、今日を作るための昨日を、一昨日を、そのまた過去を、あの人達それぞれのパワーを持って生きていたからこそ、あの場所に立って、あれだけのパワーを発することができるんじゃないか、とそう思いました。
 
僕は好きです。
今日は欠席となってしまいましたが、菅野さんが好きです(軽症で、早く回復されることを祈っています)
 
あぁ、好きです、と、
心から好きです、と、本当に言えるだけの過去を僕は歩んだろうかと、思ってしまいます。
思考の檻を作ってしまいます。目の前の、貴重なキラキラを、直視できなかったのです。
 
今日の全てを覚えることはできなくても、今日のカケラを持って、明日からは生きていけるだろうかと考えてしまいます。
それを檻とせず、次にライブで会えるときは、何も考えず、言い訳をせず、目の前のキラキラを思う存分見て聞くことができるかな、と自信がないです。
 
そんな自分語りのしょーもないブログでありました。終わり。

楽しみでいる時間の話

心待ちにする時間。
少し怖いです。
 
ただ待つだけなのですが、ただただ待つだけなのですが、待っていることも力が必要です。
待った末にその場にいることができるように、待つだけの事をしなければなりません。
自分を保ち続けなければなりません。
しかし、ただ待っているだけです。
心がざわつきます。心が浮つきます。心がここにありません。
何もしない。僕は何もしない。ただただ待って、ただただ受け取りたい。
 
あぁ、何も逃さず、何も後悔せず、すべてを感じ取られるのか、わかりませんが、あぁ待つしかない。
明日が犬フェス。楽しみな日。
終わり。

時間に苦しめられる話

締め切りがないと動かないタイプではあります。
しかし、締め切りが僕を不幸にするとも思います。
 
大きな締め切りもそうですが、日常は細かい締め切りの連続だと思います。
何時に家を出ないと行けない。
 
朝はそればかり考えてしまうような気がします。
朝ごはんが美味しかったり、日差しが綺麗だったり、雨音がしたり、そういった感情をザザザザーっと押し流していってしまいます。
 
締め切りを守ることは大事です。
でも締め切りに頭をいっぱいにされるのは嫌です。終わり。