恋愛と自己満足について

落書き程度にだけど、絵を描いてて思うのは、
私の絵は自己満足なのだということ。
自己満足な絵は、他人に評価されない。
絵を描いて、その絵に共感をしてもらおうとすれば、
やっぱりそこには自分以外の人に見てもらうための工夫が必要だと思う。


で、なんでそんなことを描くかというと、
恋愛も、結局自己満足ではいけないんだろうな、と思ったという話。
最近、先輩などに、ロジは女とつき合いたいとか思わんの?みたいな話をふられるのだけど、
うーん、て答えてしまうのです。
で、ただただめんどくさい、と思っていたり、恋愛というもののうさんくささにひよってたりしてたのだけど
その根底にあるのは、結局自己満足か否かなのかな、って。


自分から相手へのアプローチの場合
自分が例えば誰かを好きになった、かもしれない、と思ったとして、
なぜ「かもしれない」がつくかというと、
本当に好きなの?という疑問がずっとつきまとう。
例えば、彼女の誕生日と、菅野よう子のライブの日が重なったりしたら、今の私はライブを選ぶ。
こんな感じでいろんな比較のシミュレーションをして、
あぁ、この人のことを本当は好きじゃないのかも、とか思ったりしたこともあったのだけど、
結局それも自己満足か否か、で考えがすっきりする。
ある人とつき合って自分が幸せだと思いたいからつき合うのであれば、
その恋愛はしんどくなると思う。
じゃあ相手が幸せにするために、自分はつき合うんだなんて、偉そうな考え方もできなかったりするのだけど。


相手から自分へのアプローチの場合
え、なんで私のこと好きになったの?とか思うことがあった。
数回しかあっていなかったりして、あなた、私の何を知って何を気に入ったの?って。
こういう場合、私は心の中にバリアをはって、これ以上近寄るなオーラを発する、
なんともちんけな反応をとってしまうのだけど、何に対してバリアーをはったかというと
結局、それはあなたの自己満足じゃないんですか、っていう疑心暗鬼に対してのバリアーだったと思った。
相手の気持ちの本当のところなんてわからないので、完全に私の勝手な思考なんだけど、
その、数回しかあっていないのに好きになるってのは、私とつき合うことで、あなたが幸せになるんじゃないかって。
勝手にそう思ってしまって、自己利益のために私を利用しようとしているな!感で、
もう嫌な感じになっちゃうんですね、私は。


理論的にもおかしいとこはあるけど、一応メモ程度に。


つまり、あぁ、この人に幸せになって欲しいなぁ、って思えたら
おいらはその人とつき合ってもいいのかもしれない、という自分ルールができたということです。
それで一時の気の迷いを断ち切れるんじゃないか、とか。