ヤシマ作戦とアニメ的盛り上がりとプロジェクトマネジメント

今日は中秋の名月
まだまだ暑いけど、もう夏は終わるのだろう。
今年の夏は、節電の夏だった。
そして昨日は東日本大震災から半年。
掃除をしながらそんなニュースを見て、ヤシマ作戦を思い出した。


ヤシマ作戦といっても、エヴァンゲリオンヤシマ作戦ではなく、
今年3月12日にネットを中心に起きた節電運動のこと。
あの時は計画停電も、こんな長期の節電の必要も知らなくて、
東電へのバッシングもあまりなく、義務感よりは、
ただ協力したい、という思いが強かったのではないか、という推測がある。
それに加えて、ネットの盛り上がりを、アニメ的盛り上がりに自分の中で変換してたのを覚えてる。


アニメ的盛り上がりとは、
例えば、サマーウォーズなら、物語後半に陣内家、さらには世界中のアバターが協力してラブマシーンを倒す、あの盛り上がり。
例えば、うしおととらで、うしおが今まで日本を旅して知り合った友人や妖怪が、一致団結して白面の者に立ち向かう、あの盛り上がり。
皆で協力して、ある困難に立ち向かう、あの盛り上がり。


ヤシマ作戦のとき、電力不足というよりは、震災そのものが大きな困難で、
これはいろいろな協力がなければ、解決が難しい、と直感的に私は思った。
その直感が私の中で空回りしたことと、私の中の中二病が合わさって、
ヤシマ作戦のとき、Twitterという細い繋がりで広がる節電運動で、
電力不足に立ち向かう状況を、アニメ的盛り上がりとしてとらえて、妙な感動に繋げた気がする。


アニメじゃ、アニメ的盛り上がりを見せた後は、クライマックスをむかえ、敵はやられてエピローグへ続き、物語は終わる。
だけど、現実はアニメのようにはいかなくて、
あの後、被害の大きさと原発の問題から復興は長期化し、節電の夏がやってきた。
電力供給はまだ安定せずに、来年も節電、なんてニュースもある。
敵はそう簡単にくたばらなかった。
そんな今、ヤシマ作戦の頃の自分を振り返ると、あぁ、なんて短絡的でバカなんだろう、と思ってしまった。


しかし、一方で今年の夏は節電頑張ったな、と自分を褒めてもいいのかもしれないと思った。
暑すぎる日はエアコンをつけたし、自分が苦しくなるほど頑張ったわけじゃないけど、
使っていない家電のプラグは抜いたし、そもそも生活の大半を閉める会社が節電対策に乗り出して、この夏の生活は例年とは全然違った。
正確な値はないけれど、15%はクリアしてると思う。
そしておそらく、東京電力東北電力のエリアの人たちは、少し形は変わっても、ある程度の生活の変化を受け入れた夏だったんじゃないかと思う。
少なくとも私の周りはそうだった。
長期化したから盛り上がりは感じないけれど、皆で協力して電力不足に立ち向かう、という状況はヤシマ作戦と変わらない。
ヤシマ作戦で感動したなら、心が動いたなら、盛り上がりはないけど、今年の節電の夏は感動に値することだったんじゃないかと思った。


私はプロジェクトマネージャーでもないし、そんな勉強をしたわけでもないから、よくは知らないけど、
フォロワーとして、プロジェクトマネージャーに求めるものがある。
それは労うということ。
もちろん、フォロワーにもそのプロジェクトで働く目的はあるし、金銭的な対価も貰っているのだけど、
プロジェクトマネージャーからの労いがあると、私はやる気に違いが出てくる。


それとは別に、プロジェクトを進める中で、振り返りを行うときに気をつけてることがある。
それは悪かった事だけではなく、良かった事を認識すること。
自分に対する反省でも、チームの中での反省でも、悪かったこと、反省点はすらすら出てくるのだけど、
これは良かった、という話はなかなか出てこない。
でも、成功した事、改善した事があるならば、それは評価するべきだと思う。その行動は続ける価値があるのだから。


つまり、褒める事、良かった事を認めること、は必要だと思う。


節電の夏、というのはある種のプロジェクトだったと思う。
まだ夏は終わってないけど、おそらく、電力供給を需要が上回らない、という点ではこのプロジェクトは成功すると思う。
成功しても、首相はたぶん褒めてくれないし、東電に褒められてもなんかイラッとするし、
インターネットで他人に褒められても鼻でわらって終わってしまうし、インターネットで他人を褒めても「でもコッチは問題が」とか東電の陰謀とか聞かされる。(それはそれで大事なこともあるかもしれないけど)
友達を褒めても、コイツ急にどうした、と変に思われる。
だから、とりあえず、自分で自分を褒めておこうと思った。


それはそれとして、月は綺麗だ。
月といえばMOON。
MOON
と言えば

∀ガンダム ― オリジナル・サウンドトラック 1

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