話しかけるという暴力の話

暴力という言葉は大きな力を持っていて、話しかける、ということすら暴力といってしまうのは言い過ぎな部分もあるのかと思います。
しかし、「話しかける」のは話し手の勝手であり、聞き手の自由を奪う行為でもあると思ってしまうことがあります。
 
例えば、見ず知らずの人が、訳のわからないことを急に、何の脈絡もなく話しかけてきたとして、それを無視することは失礼にあたるのか。
 
個人的には無視をすることが攻撃とも思えず、聞き手の選択肢の一つでもあると思うのです。
 
話しかける、関係を持とうとする、
それが絶対的に正しい権利、正当化されうるもの、としたら、
条件を考えず、とにかく話終えてしまったもの勝ち、そんな嫌な世界があるような気がして、それは本当に幸せな成果につながるのか疑問だと思っています。
 
もちろん、話をする、コミュニケーションを取るのは重要です。
しかし無闇に一方的な話しかけ方、方法、手段を取ることは、暴力に似た理不尽な力を先手でとったに過ぎないのでは、と思ってしまい、本質は頭に入ってこないのでした。
終わり。