自分が定義した自分と、その自覚の話

自分が定義した、というか、自分が認識している自分、があると思います。
自分は〇〇といった人間だ、こうあるべきだ、こういう性質がある。
自分はこうでありたい、〇〇が好きだ、これを正しいと思う。
 
自分がどう思っているか、考えているか、それが個性であり、個を成立させる重要な因子だとも思います。
しかし、ある時点で、自分を自分で定めた役割に制限してしまっていることがある気がします。
 
それが自分が定めた限界といわれるものなのかもしれません。
自分はこうだからしょうがない、こうだから、こうだから。
 
自分が定めてしまった役割を「演じて」しまって、自分ではない誰かになってしまうのは苦しいと思います。
しかし、演じざるをえない、役割を求められる、応えなければいけない、そういうこともあります。
 
自分の考えや思考の方向に違和感がある時、自分が定めた役割や固定観念に縛られているのではないかと立ち止まります。
過去の自分も未来の自分も、他人といえば他人です。
 
今の自分がどうしたいか、どうありたいか。
そこに機敏になって、選んでいきたいと思いました。終わり。