改善と手間の話

手間、と書くとマイナスイメージが付きまとう感じがします。
 
きこりの話が有名です。
木を切るきこりの鋸が錆びていて効率が悪い。
「研げばいいじゃないか」と問えば「研ぐ暇がない」と錆びた鋸で木を切り続ける。
 
長期的に見れば、鋸を研ぐことが正解のように見えますが、
現実はこんなに単純化されたものではなく、鋸を研ぐことが嫌な人はいくらでも研がない理由を挙げてきます。
そしていつか研いでくれる人を口を開けて待って、愚痴だけをこぼしながら錆びた鋸で木を切り続けるのだと思います。
 
さて、鋸を研ぎたい人はどうすればいいのでしょうか?
最適な研ぎ石は簡単に手に入るのか。本当に研いでいる暇がないほどに木こりが追い詰められていたら、どうやって時間を作るのか。
研ぎ石を購入するお金はあるのか。どこまで研げばいいのか。
本当に良いバランスを見つけて「こう研げばいい」と考える人は意外といないとも思っています。
 
何事も言うは易し、なのだと思います。
やらねばならぬなら、多少の障壁はあるものです。
でも、そこから逃げても行けないし、そこにハマりすぎても行けない。
正解はどうせわかりっこなくて、結果が後から正解か不正解を判定します。
つまり、どこかで割り切る必要があって、その割り切りに他人が付いてくるか付いてこないか、そこが難しいなと感じます。終わり。