共有って需要と供給かーと今更思いました

共有をするということは
情報を発信することと、
受信すること、
その需要と供給のバランスで成り立っているのだろうと今更ながらに思いました。
 
僕はどちらかというと、需要がなくてもダラダラどうでもいい情報を発信しがちで、
またそれでもいいかーと思っている節があるので、
共有ってなんだろうなーと思った時に、あぁ僕がやっていることには需要がないのか、
と気付いた次第です。
 
なんとなく、共有をする、ということは、
「ねぇねぇ、これ見て、これ見て」と発信者がゴリ押しすることでもなく、
「ちょっと、それちょうだい、それちょうだい」と受信者がゴリ押しすることでもなく、
「これ置いときます」「あ、これ借ります、代わりにこっち置いときます」
みたいな需要と供給のバランスがあってこそな気がしました。
 
また、発信者がゴリ押し、または受信者がゴリ押しするときに
「これ共有するといいことあるから」と言うのは違和感があるなーと思った次第です。
 
で、なんとなく日々日々、「これこのツールで共有したら便利なのに、流行らないなー」みたいなことを思うときは
無意識に自分がゴリ押し状態になって、聞いてる側はゴリ押しされてるわー
みたいなことになってるのかなぁーと思ったりしました。
会社での共有ツールの布教活動とかそんな感じがします。
 
需要が足りないのか、供給が足りないのか。
どっちが困っていて、どっちが困っていないのか、
どっちがどう得するのか。
その辺ちゃんと見極めないと、共有しなくていいじゃん、の結論に至るような気がしました。
 
という、需要のない情報のゴリ押しでした。